- ※ヒギンズ Higginsの話はよく文書化されているが、会社の総生産量の決定的なリストを見つけるのは難しい。第二次大戦中だけでも20,094隻のボートを建造したと言われているが、戦後の船体番号を見ると、さらに7,000隻ほど建造されてる。ヒギンズはニュー・オーリンズ New Orleans地域に7つの別の工場を運営し、ピーク時には20,000名を雇用していたが、この帝国は第二次大戦後に急速に衰退した。レクリエーション用モーターボートの魅力的なラインの生産に多様化したにも関らず、1963年に閉鎖され、1966年にエクイタブル・イクイップメント Equitable Equipmentに買収され、Equitable Shipyardsと改名。Equitableは1972年にトリニティ・インダストリーズ Trinity Industriesに買収され、1996年にハルター・マリーン・グループ Halter Marine Groupの一部として分社化され、2000年にトリニティ・ヨット Trinity Yachtsとして再び分社化され、現在はハーヴェイ・マリーン・シップヤーズ Harvey Marine Shipyardsが所有。戦後も継続していた唯一の造船所は、産業運河の西側、I-10橋 I-10bridgeのすぐ北側にあった:Googleでここの航空写真を見ることができる
- ※この有名な造船所は、1834年にシンシナティ Cincinnatiのウィリアム・ハーツホーン造船所 William Hartshorn's shipyardで造船の訓練を受けたイギリス人のジェームズ・ハワード James Howardによってジェファーソンヴィル Jeffersonvilleで始められた。1836年にはインディアナ州 State of Indianaのマディソン Madisonに事業所を移したが、1848年にはジェファーソンヴィルに戻り、弟のダニエル Danielが事業に加わった。そののち、1876年にジェームズ・ハワードが亡くなると、息子のエドモンズ Edmondsに経営権が移り、社名がE. J. ハワード社 E. J. Howard & Co. に変更されたのである。1903年にハワード造船所 Howard Shipyard & Dock Co. となり、1940年に閉鎖された。しかし、1942年に隣接するジェフボート JeffBoatの生産能力を拡大する必要があった海軍がこの土地を譲り受け、ジェフボートにリースしたことで、以後、2つのヤードは一体となって運営された。戦後、ジェフボートのオーナーであるアメリカン・バージ・ライン American Barge Lineが海軍からハワードを買い取り、ジェフボートと正式に合併した。ハワードの歴史は、ハワード蒸気船博物館 Howard Steamboat Museumに保存されており、その記録はインディアナ大学 University of Indianaのリリー・ライブラリー Lilly Libraryにある。タイトルのリンク先の表は、JeffBoatと合併するまでのハワードの建造量を記録しようとしたもので1,200隻近くが記載されているが、船体番号は1,800近くあり、驚異的な量である。ジェフボートの記録を見るにはここをクリック
- ※ノースロップ・グラマン社 Northrop Grummanの傘下にある3つの造船所(ニューポート・ニューズ、インガルス、エイヴォンデール)をスピンオフ(spin-off、既存の企業や組織の一部を分離し、独立した別の企業や組織とすること)。スピンオフの手続きは2011年3月31日に完了
- ※2017年にハンティントン・インガルス・インダストリーズ社が提案した未来型水上戦闘艦案
Update 24/10/01